過去から未来へつなげる、浜名湖という文化

海の魅力を持つ浜名湖とともにある暮らし
かつて都に近い琵琶湖を近淡海(ちかつおうみ)と呼ばれたのに対し、浜名湖は遠淡海(とおつおうみ)と呼ばれていました。自然豊かな風景は、たびたび詩歌に詠まれるほどで、その後も、東西の交通の要衝として、多くの人や物、文化が往来しました。1498年(明応7年)ごろの大地震によって、海とつながり汽水湖となります。淡水魚だけでなく、海の魚介類も多く生息し、その数は800種を超えるほど。江戸時代には海苔の養殖、明治になると、うなぎやすっぽん、牡蠣の養殖が始まり、全国的にその名が知られていきます。浜名湖の周辺には900もの漁師を生業とし、その漁獲量は約4,000トンにものぼります(2015年)。昔も今も、浜名湖の恵みとともに生活が営まれていたことが分かります。

“日本の原風景”に出会う、信仰と祭り
風光明媚な浜名湖。平安時代に弘法大師が開いたと言われる舘山寺や、湖北五山に数えられ、小堀遠州による庭園が見事な龍潭寺など、古くから数多くの寺社仏閣が置かれていました。浜松市北区三ヶ日町にある初生衣(うぶぎぬ)神社は、御衣(神に捧げる衣服)を織り伊勢神宮に納めていた由緒ある神社で、遠州織物発祥の聖地として信仰を集めています。人々の暮らしに密着した祈りの行事は、祭りとして今に伝わっています。豊漁と安全を祈願し、直径2.5mもの大太鼓を打ち鳴らす「舞阪の大太鼓まつり」、子どもの誕生を祝い、凧揚げ合戦や御殿や鯛を引き回す「浜松まつり」。お囃子や法螺貝が響き渡る中、数十本もの火柱が夜空を焦がす湖西市新居町の「遠州新居の手筒花火」は、東海道随一の奇祭として古くから知られています。かつて東海道にあった今切(新居)の関所を避けるため、公家や大名の娘たちが通った浜名湖北部の本坂道(姫街道)。当時の絢爛豪華な姫様の行列を再現する浜松市北区細江町「姫様道中」は、春を告げる風物詩として多くの観光客でにぎわいます。幾百年が過ぎても、今なお寺社仏閣や祭りの中に、日本ならではの風景や伝統文化を見ることができます。

交通インフラとともに発展した弁天島と舘山寺
浜名湖の観光の歴史は弁天島から始まります。もともと無人島だった弁天島は、1889年に海水浴場や旅館がオープンし、観光地や保養地として知られるようになります。明治の終わりには東海道本線「弁天島」駅も開業しました。1954年には、県営の弁天島水族館が誕生。鉄道のアクセスのよさも手伝い、海水浴や潮干狩りなど、多くの人が訪れました。一方、奥浜名湖の舘山寺が観光地としてにぎわいをみせるのは、昭和33年の舘山寺温泉の開湯を待ちます。今ほどアクセスがよくなく、当時は鷲津駅から観光汽船に乗って訪れる人が多かったようです。1973年には弁天島と舘山寺を結ぶ「浜名大橋」が、翌1974年には東名高速道路に浜松西I.Cが完成。マイカーに乗った人が訪れる、浜名湖を代表する観光地として発展していきます。

生活の道から観光へ。21世紀の水上交通の魅力
江戸時代の浜名湖では、漁船と新居の渡し船以外の航行が禁じられていましたが、明治になると解禁。鉄道の駅から遠い人にとって大切な「水上の道」として利用されるようになります。弁天島や舘山寺をはじめ、鷲津や三ヶ日、村櫛、山崎などを発着する航路ができましたが、1973年にもなると、マイカーの増加と道路整備によって定期航路は廃止。今は、舘山寺エリアから瀬戸間を舟運する観光船だけが残ります。一方で、2014年には浜名湖サービスエリアから乗船できる遊覧船がスタート。新たな水上交通として注目を集めています。圧倒的なスピードの新幹線とはちがい、ゆっくりと行く水上交通だからこそ見える風景は、せわしない時代を生きる人たちの心をひきつけます。

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