世界に冠する、ものづくり企業が生まれた理由
東京と大阪の中間に位置する浜名湖は、温暖な気候で、天竜川などの豊富な水資源にも恵まれた立地。隣接する浜松市や湖西市をはじめ、磐田市、袋井市などの自治体を含めると人口113万人(※)を超える都市圏を形成します。古くは東海道の中央に位置し、東西の人々や文化が行き交う交通の要衝として栄え、よそものを受け入れる土壌、自主・独立の気風が育まれてきました。※浜松都市圏
浜松のものづくりの歴史は江戸時代にまでさかのぼります。当時の産業であった織物、製材、木材加工業が経済基盤をつくり、江戸時代の中頃には木綿の一大産地として全国にその名を馳せます。明治になると自動織機が発明され、繊維産業がさらに飛躍。製材技術からは木工機械の開発だけでなく、新たに楽器産業が生まれます。大正元年には国の鉄道院浜松工場が設立され、日本全国から多くの優秀な技術者が集結。今に続く多様なものづくりの原点を見ることができます。
太平洋戦争後はエンジン付き自転車からオートバイへ産業がシフト。1950年代には浜松市内に40近いオートバイメーカーが存在するほど活況を呈し、今日の自動車をはじめとする輸送用機器産業へ続く礎になります。楽器産業では、ヤマハ、河合楽器、ローランドという世界の総合楽器メーカーが本社や研究所を置く、世界有数の音楽産業集積地域としても知られています。同業種内のライバル企業による切磋琢磨や技術開発が、この地域の産業を後押しした要因の1つといえそうです。
数多くの偉人を生み出した「やらまいか」精神
浜名湖周辺は遠州地方と呼ばれ、ここに住む人々の気質を表す言葉に「やらまいか」というものがあります。これは「一緒にやってみよう」「あれこれ考える前に、やってやろうじゃないか」という、新しいことにチャレンジする精神を意味します。そんなベンチャースピリットあふれる言葉を体現するように、この地域では数多くの世界的な起業家や発明家が活躍してきました。本田技研工業の創業者である本田宗一郎に、スズキの創業者・鈴木道夫。動織機を発明した豊田佐吉と、その長男でありトヨタ自動車の創業者・豊田喜一郎。日本楽器の創業者である山葉虎楠など、名だたる顔ぶればかり。さらに、浜松高等工業学校(今の静岡大学工学部)の存在も大きく、世界ではじめて電子式テレビの受像を成功させた高柳健次郎の研究はあまりにも有名です。さらに本田宗一郎が聴講生として在籍するなど、多くの優秀なエンジニアの育成に貢献しました。他にも、日本初の写真フィルム、世界初のコンピューター制御の加工機械(NCルーター)、アルミホイールなど、この地域でつくられた日本初の製品や技術を数多く見つけることができます。
次代を牽引するイノベーションの創出
東海道新幹線をはじめ、東名高速道路や新東名高速道路といった交通インフラ、医科大学で芸術系大学などの高等教育機関の整備、コンベンション施設の完成によって、近年、さらに都市機能が向上しました。これまでの輸送用機器、楽器産業に加え、近年では、光・電子技術といった先端技術が世界的な評価を集めています。浜松市においては「次世代輸送用機器」「健康・医療」「新農業」「光・電子」「環境・エネルギー」「デジタルネットワーク・コンテンツ」に注力。さらに、地元企業などと協働した「スマートモビリティサービス」プロジェクトなど、浜名湖地域のさらなる市場の成長、新産業の創出を目指しています。
浜名湖の周辺には、この地域の産業の歴史を学べる魅力的な施設も充実。本田宗一郎が開発したエンジンやバイクなどを展示した「本田宗一郎ものづくり伝承館」。自動織機からオードバイ、軽自動車へ発展したスズキの歴史を学べる「スズキ歴史館」など、ものづくりの原点を感じられる場所として、今も起業家をはじめ、多くの人がこの地を訪れています。